あるべき味

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楽しいときに限って、大人になっていく哀しみに襲われていた頃

この1か月、随分とハイテンションで来たなかで、今日ふと糸がきれて揺り戻しがきたので、今週のお題「おとな」について思うことも、センチメンタルでメランコリック。

 

はじめて子供だけで、バスと電車を乗り継いで街に遊びにいったのが、小学校3年生のときだった。ちょっと背伸びをした気分で、デパートに入っても、サンリオショップに入っても、ただ街を歩いていても、すべてがスリリングで、ぞくぞくした快感があった。

同時に、大人に一歩近づいた気がして、それが親離れの一歩であることも感じて。ひいては親が年を取り死に近づくことに通じることをおもい、せつないような頼りないような哀しい気分になった。

 

この大人に近づいていく寂しさは、その後もたびたび、私を襲った。

高学年になってマクドナルドでビッグマックのセットを食べているとき、友達の家から男子が集まっている家に電話してわいわいしているとき、部室で着替えながら大盛り上がりの時、中学の放課後に海で焚火をしたとき、クラス全員参加でクリスマスパーティーを公民館でやってお酒をのんだとき、高校生になってパーマをかけたとき、はじめて合コンをしたとき、大学生になって新歓コンパにいったとき、彼ができたとき、外泊したとき、一人暮らしをはじめるとき。。

わくわくするようなときこそ、ふいにこの感情がちりちりとして、どんどん取り返しがつかなくなっていくような気がして泣きたくなるのだけど、人の輪のなかでその気分を持て余し、すぐに楽しさで覆い隠して、また笑っていた。

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この感覚に襲われなくなったのは、いつだったか。外泊を追及されなくなった20代後半だったかもしれないし、30代になって実家に戻ってからかもしれない。

 

いまは、以前よりもずっといろんな話を親にするようになったし、何かと世話をやいてもらっている。「この子はこんなこともできない!」と文句言いながらせいぜい手間をかけてもらうのが、親にも張り合いになるかなと、敢えて親離れと逆行しているこの頃。

 

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